否定という壁に挑戦した男
登山家、栗城史多さんが5月21日、エベレスト登山中に亡くなられた。
私は正直、栗城史多さんという男を知らない。
ニュースでたまたま見て、誰だろうと思い30分程調べた知識しかない。
だけど思うところがあったので、意見を書いていこうと思っている。
「hufpost」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/栗城史多
亡くなった経緯と栗城さんの経歴はこの二つの記事を読んでもらえればわかると思います。
私はこちらの記事も読んで見ました。
「登山ライター森山憲一のブログ」より
栗城史多という不思議
https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post.html?m=1
栗城史多という不思議2
https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html?m=1
これらの記事を読んでみると栗城さんは登山家としてはあまり良く見られてなかったのではないかと感じる。
wikiに書いてある「無酸素」や「単独」という言葉を安易に使っているのではないかと私も感想を抱いた。
森山憲一さんのブログで栗城さんの登山はショーだ(言い方はもっと違います。読んでもらえると助かります。)と書いてあるのを読んで、確かにそうではないかと感じた。
栗城史多さんの公式ホームページ
公式ホームページにあるように栗城さんは「冒険の共有」「否定の壁への挑戦」を目的にしてると感じた。
登山というツールを通じて、挑戦しようとしてる人の応援を栗城さんはしてるのではないか。
いろんな記事で賛否両論のコメントを見る。
プロの登山家や山をよく知っている人から見たら、本当に無謀な登山方法をしていたのかもしれない。挑戦という名の元、吊るし上げられて引くに引けないところまで行ってしまったのかもしれない。
森山憲一さんのブログでも、批判してるのではなく、むしろそのような引けない状況を心配してるように感じた。
そんなある意味否定の言葉(心配の言葉も含む)の中で、栗城さんは確かに誰かを勇気付けていた。
ツイッターやFBのコメントが栗城さんに対する生の声だと思う。
たくさんの人を勇気付け、挑戦の素晴らしさを行動という何よりも心に訴えかける言葉で、世の中に発信し続けた。
私は30分という短い時間で、栗城史多さんという男を調べてみたに過ぎない。
彼を語るには少な過ぎる時間だ。
でもきっと、今回の結果を悲観してはいけないと思っている。
最悪の結果だった。でも彼は挑戦した。きっと自分のためじゃない。自分を見ている誰かのため、挑戦しようとしてる誰かの背中を押すために、エベレストに挑戦し続けたのではないか。
そんな彼の生き様を「否定」することは誰にもできない。
栗城史多さん。
私はあなたを尊敬します。
こんな場末のブログで申し訳ありませんが、この度はご冥福をお祈り致します。